2018.09.30
見る前に跳べ!!
9月30日です。今日は湯らっくす前社長の姉の命日です。3年前の話です。さらにその前年の2014年の同じ時期に創業者の父が亡くなりました。
立て続けに柱を失い、湯らっくすは多額の借金を抱え、存続の危機に立たされていました。20年を過ぎた施設ですから売上も振るわず、大変な時期でした。
その姉(前社長)の葬式に、わざわざ東京からMさんという温浴関係の方が参列されました。
「今日、飲みに行きましょう」と言われ、そこで姉から弟(私)に湯らっくすを継ぐように説得してほしいと姉から存命中に頼まれたので説得しに来たと言われました。
温浴事業がいかに社会で大切なものか、存命中の姉の孤軍奮闘振り、様々な切り口で、説得を受けました。正直突然そんなこと言われても。。という気持ちで、反発したのも覚えています。
そして、湯らっくすの顧問会計事務所の所長様にも呼ばれ、会社を継ぐように言われました。「息子なんだから継ぐだろう」というような話もあり、ここでも反発しました。
さらに、母とも継ぐ継がないで喧嘩になりました。夫と娘を立て続けに亡くし、息子からも大きな声でなじられて、弱ってしまった母は倒れて寝込んでしまいました。「あなたがやらないなら私が一人でやる。お父さんと私で作った会社を潰さないで!」80歳近くの母にそう言われました。
二番目の姉から、「これ純子さんからの手紙。吉孝に渡してくれと頼まれた」と亡くなる3ヶ月前の日付で「吉孝へ」と書かれた封筒を渡されました。
湯らっくすを継いで欲しい。お金の心配なら大丈夫。そんな事がびっしり書いてありました。
それに確かに私しかいなかった。父に反発して湯らっくすを退社するまで、ずっと湯らっくすで働いてきた経験がありますから、浮上させて見せる自信はありました。でも、売上が削ぎ落とされ、借金が増えている事実に及び腰になってしまいました。
福岡で事業を興し、ささやかな成功をおさめた。あえて火中の栗をひろう必要があるのか?俺をないがしろにしたからこんな目にあったんだろう。俺には関係ない。全部、清算してしまえばいい。
そう思いつつも、実は逃げ回っている自分がかっこ悪く思えてきて、何よりまだ小さい子供達が大人に成長する過程で「パパはあの時逃げた」んだと知られるのが最高に格好悪く思えました。
今時よくある後継者問題の親子間での話だと思います。借金はあるけどそれと同じ位の資産もあるという事。0から始めたつもりの事業も実は親の信用があって始められた事。そんな事につい3年前までは気づいていませんでした。いや意識的に見て見ぬ振りしていました。*継がないという選択も撤退戦が大変なのは理解しているつもりです。否定している訳ではありません。
清水の舞台から飛び降りるつもりで会社を継いで、半年後に熊本の大地震が発生しました。この時初めて会社の存続を考えました。そして自分の会社がライフラインを握っていると分かった時でした。社会的に何か大きく貢献できてるという実感があり、この期間はとても有意義で、そして地震のどさくさに紛れて、湯らっくすが浮上してきた時期でした。
黒澤監督の「生きる」で、ガンを宣告された主人公が、「私にも何かできる!」とおもちゃを握りしめて走り出したあのシーンのようでした。振り返って、あの地震から復興している間が自分が今まで最も輝いていた時でした。今でこそ「madmax!」なんて勇ましい事を言っていますが、この時期が本当の「乗るか反るか」の大博打の時でした。
継がないという決断をしていたら、出来ない体験でした。父と姉の死と地震と長年やってきたヨガの思想がスパイラル的に絡み合い、自分なりの死生観が形つくられた貴重な体験でした。ドキドキするような毎日が本当に楽しかったです。
ヨガの正典バガヴァッド・ギーターには、「ただ自分の役割を果たせ」というのがあります。(乱暴な書き方です)
「一人でも多くサウナの魅力を伝えたい」
最近多くのサウナ愛好家の方々と話して出てくる言葉です。私も熱く語りますが、皆さんも熱い。アウフグース師で多くの人に熱波を送って楽しみを伝える人、googleのようなサウナ検索サイトを立ち上げてサウナの楽しみを伝える人、サウナ・コンサルタントとして全国でサウナの楽しみを伝えている人。サウナが好きでSNS上で自分の行ったサウナ記をつけている人など様々です。
では、湯らっくすができる事とは何か?と考える。姉の命日が近づき、色々とその頃の事を考えていたら、「施設を存続させる事」かなと思いました。とても地味ですが。
更に「施設をこの熊本の地で永く存続させるには何をしたらいいのか?」と切り込んで見ると、そこに大きな壁として立ちはだかるのが「働き方改革」という今の風潮です。
働いてくれる人がいなくなる。24時間営業のフロント。レストラン。アウフグース。清掃、洗濯。マッサージ。アカスリ。ヨガ。全部自社運営です。人が寄らなそうなお仕事ばかり。。このままでは数年も経たないうちに存続の危機を迎える事でしょう。
この業界は本当に長時間労働を強いらないと、運営できない業態なのだろうか? 湯らっくすで働いていると友達や親にちゃんと報告できるような会社なんだろうか? 楽しんで仕事しているんだろうか? 給料が安すぎて、嫁になじられてるんじゃないだろうか?時間外手当、年休、ボーナスはどうなっているんだ?
ど直球で投げ込まれる問いかけに答えて行かないといけない時期に来ております。
いいサウナとは何だろうか? 気分だと思う。サウナストーブや木材や水の質とかのスペックより大事な事。清潔でいつもそこのスタッフが感じよく挨拶してくれる。嫌なお客さんもいない。いい汗をかくとは、ストレスから解放される事。我々は、お客さんにいい汗をかいてもらって、それでお金を頂戴している。スタッフのおもてなしのスペックが揃わないなら、どんないいスペックのサウナでも、気持ちよく汗はかけない。巷で名店とか言われている施設はそういう所がしっかりしている所。スペックが高い店なら他にもある。湯らっくすもサウナ周りのスペックだけなら、誇れるものがある。でも、気分が悪い、その場を支配している空気が悪いならハイスペックなんて、なんの意味もない。
スタッフみんなのおもてなしの力を結集して、湯らっくすのサウナに入って、すごく癒された。サウナって楽しい。じゃあ近所のサウナに行ってみるか。最高じゃないか。存続しているだけで貢献できてる。
温浴施設はそれぞれがロックンロールバンドのようなもので、それぞれが特徴があり、思想がある。中々、近隣施設同士で足並み揃えてサウナ人口を増やそうという取組は難しい。白状すると、サウナ人口が増えて欲しいという前に、湯らっくすのスタッフが嬉々として働いている様子が見たい。まだそれが達成できているとは、自惚れ屋の自分でさえも思っていない。
スタッフがいて、その生活を豊かにし、それが湯らっくすの永続的な存続に寄与する事が何より一番だと思う。そして自分達が楽しいと思うことをやっていったら、知らない間に、サウナファンが増えていた。周りの景色が変わっていた。それが湯らっくすの立ち位置だと思っています。
湯らっくすも最近、色んな人のおかげで取材・インタビューなど受ける機会が増えました。サウナ人口を増やすには?という事について語っている自分の記事を見たら、その場で言えなかった事をきちんと書こうと思いました。
湯らっくすで働く人たちが豊かになる為に、それが寄与しているかどうか?私の判断基準はそこに置く事にする。
https://www.yulax.info/topics/earth/1700
支配人、料理長をはじめ、各部門のメンバーは、まだ頑張ってくれている。姉の時代を知るスタッフは随分と減って20人ほどになった。是非、あの頃の事を忘れないでほしい。辞めて行ったスタッフもいい人達だった。
父や姉はどんな想いで今の湯らっくすを見てるんだろうか? 決して私を認めなかった褒めてもくれなかった父。口下手な人だった。姉は父のDNAを一番受け継いだ猪突猛進な人だった。今の湯らっくすを少しばかりドヤ顔で二人に報告したい。二人して「そんな事より、サウナ室が暗いぞ」とか言いそうです。まあ、仕方ありません。そして私と全スタッフで共有したい言葉もここ3年で固まりました。湯らっくすのDNAは以下の言葉です。
見る前に跳べ!
どうぞ客人は湯らっくすのサウナや水風呂で自らの汗と共に、我々の(見る前に跳べ)を感じて欲しい。そういう施設でありたい。そういう施設にしたい。それで人が寄らなくなったら、それがそれまでの時。
スタッフには付き合わせて悪いけど、そこは一緒に覚悟して欲しい。また、それが違うと思う時がくれば、それは湯らっくすから卒業する時。
石の上にも3年。首振り3年(尺八用語)。ここで一区切りです。
今後次の3年で湯らっくすがどう変化していくのか、楽しみです。